海底文明はあった!?共通する海底遺跡の謎

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地球では太古より、地震や火山活動などに起因する地殻変動や水位変動が繰り返し起こってきました。その結果、水中に沈んでしまったとされる幻の大陸・アトランティスやムー大陸のように海底遺跡の伝説は数多くあります。

実際に地震により海に沈降してしまった街

  • ジャマイカ島のポート・ロイヤル
http://uminoiseki.blog.jp/archives/1030304496.html

ポート・ロイヤルは、「パイレーツ・オブ・カリビアン」(カリブの海賊)の舞台となった港町で、17世紀後半には「世界で最も豊かで最もひどい町」と呼ばれ、海賊たちが略奪品をこの港で消費していくことで商業の一大中心地となったそうです。しかしながら1692年6月7日、巨大な地震がポート・ロイヤルを襲い、実に街の3分の2がカリブ海へと沈んでしまいました。ダイビングのポイントでもあります。

  • イタリアのナポリ湾にあるバイア海底考古学公園

イタリア軍が飛行中にたまたま見つけたローマ時代の海没都市です。溶岩による地盤沈下で沈んでしまい、美しい像やタイルが今でも綺麗な形で残っています。
溶岩地帯という地質もあって、ところどころで熱水が出ていたり、砂の中があたたかかったりします。ダイビングのポイントでもあります。

  • エジプトのアレクサンドリアやヘラクレイオンの海底遺跡

「ヘラクレイオン」は、「トロニス」とも呼ばれる古代エジプトの遺跡で、紀元前4世紀には時のファラオ、ネクタネボ1世によって多数の神殿が建立されましたが、6~7世紀に海の下に沈みました。

  • 長野県の諏訪湖底曽根遺跡
https://suwa-tabi.jp/news/4902/

日本で初めて発見された水中遺跡で、諏訪湖岸より約300m沖合の湖底に沈む、旧石器時代から縄文時代草創期にかけて営まれた遺跡で、石の鏃などが発見されました。

  • 滋賀県の琵琶湖湖底遺跡
https://grapee.jp/109074

江戸時代の地震によって沈んだと考えられており、日本で水中で初めて見つかった建設跡です。

古代の巨大海底都市が日本にあった!?

世界的にも有名な海底遺跡が日本の与那国島にあります。1986年に八重山諸島の与那国島南部の新川鼻沖の海底で巨大な階段構造が発見されました。ダイビングのポイントとなっており、「遺跡ポイント」と呼ばれています。

写真のダイバーの大きさから、いかに大きな階段構造であるかがわかります。このことから、巨人が建造した説などもあります。

まるで石を切り出したかのように真っ直ぐなラインが見て取れます。

与那国島の「遺跡ポイント」は世界最古の古代遺跡!?

与那国島の「遺跡ポイント」が、本当に人工的な「遺跡」であれば、動植物の分布や鍾乳石から、氷河期後の海面上昇により水没した1万年以上前の世界最古の古代遺跡ということになります。しかし、現在は人工的なものであったとしても3000~2000年前であろうと考えられています。

人工的なものであると考えられている根拠としては、

  • 道路、石組み、敷石、排水溝などと推定される地形、巨石の組み合わせが存在する。
  • クサビを打ち込んだような20 – 30cm間隔で並ぶ竪穴跡がある。侵食で形成される形ではない。
  • 周囲を壁面で囲まれた平面が形成されているが、通常の侵食ではそのような地形はできない。
  • テラス状の地形は、左右対称であり、加工跡をともなっている。
  • 垂直壁面が自然崩落で形成された場合、壁面の直下に岩石片が堆積していなければならないが壁面の直下に岩石片の堆積がない。

この「遺跡ポイント」は、階段状に直角に切り出されている箇所が多くあることから、施設を作るために石を切り出す場所であったという説もあります。

与那国島の「遺跡ポイント」は自然に作られた

実は、地上にあった遺跡が海没したとする場合、一定期間(数百 – 数千年間)波打ち際で波による侵食を受けた跡が残りますが、与那国島の「遺跡ポイント」では、そのような痕跡は見られません。地形が「人工物のように見える」という以外に古代文明があった証拠が希薄なのです。

「遺跡ポイント」は東南方向に沿って垂直に10 – 15度傾いているのですが、これは200万年以上前に形成された八重山断層群に沿った傾斜であり、遺跡が造られた後に傾いたものではありません。また、傾斜があるのは人工物としては不自然であり、施設として考えた場合に実用性が疑わしいです。

また、与那国島では、焚火跡、石器、土器を含む紀元前2500年 – 2000年の小規模な居住地の遺跡が発見されていますが、その住民には石造記念物を建造する余力はなかったと考えられており、人が関与した痕跡があると判断できないとの理由で、人工的な建造物ではないと考えられているのが現在の研究の大筋です。

しかし、人によって加工された可能性も指摘されています。「遺跡ポイント」の地形は、完全な人工物と考えることは困難であり、基本的に自然のものであるが、崇拝の対象とされ、人によって加工された可能性があります。「遺跡ポイント」の地形は少なくとも95%以上は自然のものであるが、ヨーロッパにおける洞窟壁画と同様に古代人がそれに手を加えたことはありうるのです。紀元前8000年代には与那国島は北回帰線(夏至線)に非常に近い位置にあったため、天文学的にこれに整列する神殿であった可能性が指摘されています。

西表島の陸上にも似たような地形が発見されている

http://www8.plala.or.jp/takimi/kengai_taki/mayagusuku.html

与那国島と程近い西表島には、山の自然が多く残されており、日本最後の秘境と呼ばれることもあります。西表島は、雨が多いためか滝が多く、山肌を流れ落ちる雨によって、中には階段状の滝が形成されているものもいくつかあります。与那国島の海底遺跡と少し似ているとは思いませんか?

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/15/1/15_44/_pdf/-char/ja

与那国島や西表島の地層は、砂岩優勢の砂岩泥岩互層であり、琉球層群に広く覆われる隆起サンゴ礁の島(宮古島・石垣島南部・波照間島など)と異なっていることから、海底と陸上は違いものの地形が似ているのではないでしょうか。

正確には、与那国島を「山地島」とされることもありますが、正断層による凹地や隆起サンゴ礁段丘の平坦面も多く、典型的な山地島である西表島や石垣島北部 とはかなり地形が異なっています。つまり、与那国島の遺跡ポイントは、与那国島の標高が低いために、海底に存在し、西表島の階段状の滝は、西表島の標高が高かったために山の中に形成された、と考えることができます。

なぜこのような地形が形成されたのか

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/15/1/15_44/_pdf/-char/ja

まるで人工的に作られたような階段状の地形がどのようにして作られたでしょうか。多くの説がありますが、有力なのは、岩が侵食されてできた自然地形であるとする説です。

与那国島の遺跡ポイントにある岩は、もともと侵食されやすい種類のものであり、垂直や水平の階段状の部分は、マグマの冷却時に規則的な亀裂が発生し、それに沿って岩石が侵食される「方状節理」という現象で説明できます。

下の画像は、方状節理がわかりやすく出ている長野県にある「寝覚の床」という名勝地です。

https://www.instagram.com/p/Bc2nVWchfIb/

階段状部分の高さがまちまちであり、高いところでは1段につき1m以上もあることなどからも、人工の構造物ではなく、方状節理による自然地形とする見方が裏付けられます。

https://www.instagram.com/p/Bm15crYg1_i/

「遺跡ポイント」のほぼ北東延長上に位置する「サンヌニ台」という名勝地は、「遺跡ポイント」と似たような景観が見られています。

人工物・自然物にかかわらず極めて珍しい地形

https://www.instagram.com/p/COb9SvjD_fw/

与那国島は、その「遺跡ポイント」に代表されるように海底の地形が非常に珍しいものとして考えられています。八重山層群と琉球層群の中でも、堆積環境は塩類風化 を活発に引き起こしやすい条件を揃えており、塩類風化を学ぶフィールドとして日本を代表するものになりえるとともに、環境条件の違いがもたらす 風化プロセスへの影響を解明する地形学的研究の適地となっています。

与那国島をフィールドにした研究から、琉球弧の構造発達史が解明されていくことでしょう。

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