ゴジラ-1.0の舞台は小笠原諸島?「大戸島」

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ゴジラは大戸島の伝説「呉爾羅」!?

2023年11月に公開されたゴジラの最新作映画「ゴジラ-1.0」。核爆発や環境破壊をきっかけに目覚めたゴジラと敷島が対峙するのが大戸島(オオドシマ)。この島は小笠原諸島にあるという設定ですが、架空の島です。

小笠原諸島は東京の竹芝港から南へ1000kmの場所にあり、人が住んでいるのは父島と母島と硫黄島のみ。いくつも島はありますが、大戸島という島はありません。

そんな架空の島「大戸島」の伝説として語られてきたのが海神「呉爾羅」。これは1984年公開の「ゴジラ」からの設定です。大戸島が実際に舞台になったのは1954年公開の「ゴジラ」と「ゴジラ-1.0」の二つですが、劇中では大戸島が結構出てきます。ゴジラの設定として重要な場所であることが分かります。

大戸島が舞台となった作品大戸島が劇中で語られた作品
ゴジラ(1954年)
ゴジラ-1.0
ゴジラ(1984年)
ゴジラvsデストロイア
GODZILLA(2014)
シン・ゴジラ
GODZILLA 怪獣黙示録

海に浮かぶPA「海ほたる」にはゴジラの足跡

「シン・ゴジラ」では、ゴジラは太平洋から呑川を遡上して蒲田付近に上陸すると、都心各所を散々に破壊しました。映画史上に残る破壊の大行進…。その始まりが、この東京湾に浮かぶ「風の塔」です。

東京湾アクアラインのトンネルの天井に亀裂が発生し、泥水が流れ込みます。そのトンネルの上部、東京湾に浮かぶ「風の塔」付近に謎の水蒸気が上がっていました。

海ほたるPAに集まる人びと。スマホを片手に、風の塔に上がる水蒸気の写真や動画を撮影しています。謎の水蒸気に現場は騒然とします。

そして、ついに謎の巨大生物が姿を現します…。

史実に基づいていた「復員船」

主人公の敷島氏が、小笠原諸島の大戸島から復員する際に乗っていた船・復員船についてです。(参照:https://ameblo.jp/vesselturedure/entry-12832936093.html)

小笠原より復員兵を運ぶ復員船(引用:YouTube「All Godzilla -1.0 Scenes In Order – Godzilla Minus One SPOILERS」)

この復員船は、船首にスロープを設置した独特の形状からすると、上陸作戦で戦車などを海から直接上陸させる揚陸艦艇です。

当時の帝国海軍には、揚陸艦として輸送艦「第一号」型、「第百一号」型、および「第百三号」型がありました。

二等輸送艦「第百三」号型・「第百五十一号」輸送艦 unknown, (不明) – 写真日本の軍艦第13艦p258, パブリック・ドメイン

これは、艦首は平板のスロープ型で、映画で使用された艦と非常によく似ています。

Wikipediaの艦型図を見てみましょう。

二等輸送艦「第百三」号型・「第百四十一号」輸送艦の艦型図(SnowCloudInSummer – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6211276による)

艦首のスロープと四角い穴の形状、艦首の両舷にある張り出しの位置もほぼ一致しています。

史実を見ると「第百一」号型はすべて戦没しており、「第百三号」型は復員輸送用の特別輸送艦に指定された艦が「第百十号」「第百三十七号」「第百四十七号」「第百七十二号」「第百七十四号」の計5隻あります。このため、映画で使用されたのは実際に復員輸送に使用された「第百三号」型二等輸送艦だと思われます。

昭和20年12月現在で、小笠原諸島からの復員が見込まれていたのは、帝国陸軍が5,812名、帝国海軍が3,353名、民間人が118名とされています。

また、実際に父島・母島方面の復員輸送に使用された船は、昭和21年1月以降では次の記録があります。

南鳥島:「第一大海丸」(昭和20年2月竣工、6,873総トン、大阪商船・2AT型戦標船)

父島:第一次/海防艦「生野」(昭和20年7月竣工、基準排水量940トン、「鵜来」型海防艦)

   第二次/「千歳丸」(大正10年6月竣工、1,532総トン、日本郵船貨客船)

   第三次/「長運丸」(昭和15年8月竣工、1,914総トン、長崎合同運送貨物船)

   第四次/「凌風丸」(昭和12年8月竣工、1,179総トン、中央気象台気象観測船)「長運丸」

   第五次/「凌風丸」

母島:一等駆逐艦「楓」(昭和19年10月竣工、基準排水量1,262トン、「松」型一等駆逐艦)

   第七次「LST3隻」

日本郵船・貨客船「千歳丸」(引用:Wikipedia)(不明 – own collection, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=79222818による)
中央気象台・気象観測船「凌風丸」(引用:「船舶百年史 前篇」上野喜一郎、1957年9月、船舶百年史刊行会、P.175)

そして、昭和21年3月には小笠原諸島からの引揚げは完了したとされています。

実際に小笠原諸島(母島)からは、揚陸艦による復員輸送が実施されており、その輸送は映画で採用された二等輸送艦と同じような形で行われたと思われます。

「ゴジラ-1.0」は、史実を丹念に調査されたうえ、映画に登場させていることが分かりますし、復員輸送においても、人物が構造物に隠れてしまう貨物船や貨客船ではなく、揚陸艦を使用するなど、芸が細かいですね。

世界各地で大規模な戦闘が続く現代において、先人が過酷な状況に置かれながらも残してくれた「平和」の意味を問われている、「ゴジラ-1.0」を見てそんな気になりました。

小説版 ゴジラー1.0 (集英社オレンジ文庫) [ 山崎 貴 ]

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【おまけ】シン・ウルトラマンの考察

「シン・ウルトラマン」のキャッチフレーズとなった「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」。この言葉は、元々初代『ウルトラマン』最終話のセリフです。
自らの命を捨ててまでハヤタ(ウルトラマンに変身する地球人)を救おうとするウルトラマンに対し、上司のゾフィーが投げかけました。

ウルトラマンは全裸の変態!?

シンウルトラマンのウルトラマンのデザインは、カラータイマーがない状態です。若い頃からウルトラマンの大ファンであった庵野監督が、ウルトラマンは全裸なんじゃないか?という疑問からこういうデザインになったそうです。

ウルトラマンは、宇宙間を飛行できるほどの高度な文明を持っているはずなのに、服を着ていない、服という概念がない可能性もある。もしくは、素っ裸で怪獣と取っ組み合いたいだけの変態の可能性もある。そして、自分の力を怪獣にぶつけ、体力のぎりぎりのところで残りの力を振り絞ったスペシウム光線を放つのではないか、と。

シンウルトラマンで使われる難解な科学用語

根拠を持った会議と神威獣の生態の解説という科学的な面がありながらも、ネットに晒された写真や何日もお風呂に入っていないことへの羞恥心という人間の心にも焦点を当てています。マルチバース(複数の宇宙・世界が分散して存在する理論)やネゲントロピー(エントロピーの増大の法則に逆らったエントロピーの低い状態が保たれている状態)など普段の生活では使わないような言葉もかなり出てくるのですが、そこに注目するのも面白いです。

巨大化してしまった浅見をブルーシートで固定しているシーンは、「sleeping beauty」「ガリバーズトラベル」と分かりにくく言っていますが、要するに「眠れる森の美女」と「ガリバー旅行記」です。

ぜひ何度も見返して細かい演出にも注目してみてください。

「レヴィ=ストロースと未開人」「ウルトラマンと地球人」

劇中で神永新二(斎藤工)が図書室のような場所で読んでいた本が「野生の思考(La Pensee sauvage)」。

レヴィ・ストロースが書いた「野生の思考(La Pensee sauvage)」は、1960年代に始まった構造主義ブームの発火点となり、フランスにおける戦後思想史最大の転換をひきおこしました。
人類学のデータの広い渉猟とその科学的検討をつうじて未開人観にコペルニクス的転換を与えsauvageの両義性を利用してそれを表現しました。

「構造主義」とは「人間の社会的・文化的現象の背後には目に見えない構造がある」というもの。

野生の思考とは、未開野蛮の思考ではない。
野生状態の思考は古今遠近を問わずすべての人間の精神のうちに花咲いている
文字のない社会、機械を用いぬ社会のうちにとくに、その実例を豊かに見出すことができる。しかしそれはいわゆる文明社会にも見出され、とりわけ日常思考の分野に重要な役割を果たす。

野生の思考には無秩序も混乱もないのである。人間のつくった神話・儀礼・親族組織などの文化現象は、野生の思考のはたらきとして特徴的なのである。

レヴィ=ストロースとアマゾン川の先住民。ウルトラマンと地球人の関係は良く似ています。

「野生の思考」の二元論に則って言うなら、ウルトラマンは「文明人」で、地球人の方が「未開人」です。
全裸で大気圏突入し、別の惑星とも交流のある巨大宇宙人と、宇宙進出すらまともに出来ない小さな地球人には、文明や力に圧倒的な差があります。

『野生の思考』は、後年こんな批判を受けています。
「未開人を美化し過ぎている。結局のところ「未開人を研究するという視点」そのものが上から目線じゃないか。」

(おそらく)無償で地球を守るというのも、上から目線のなせる技でしょう。これだけ文明の差があれば、「対等な目線」で接する事そのものが不可能に近いです。

こういった観点から、庵野氏は「そんなに地球が好きになった」ウルトラマンと、「そんなに先住民が好きになった」レヴィ=ストロースを重ねたのではないでしょうか。

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