凄惨な陸上戦が行われた硫黄島にはかつて住人がいた

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目次

太平洋戦争中屈指の激戦地であった硫黄島

映画「硫黄島からの手紙」やクリント・イーストウッドの「父親たちの星条旗」などで陸上戦が行われた離島として一躍有名になった硫黄島ですが、陸上戦のイメージが大きすぎて、かつて硫黄島に住んでいた人にあまり焦点が当てられていません。1889年、小笠原諸島の父島の住民が鮫漁と硫黄採取を目的として渡航したことから硫黄島の開拓が始まり、硫黄採掘や農業が行われ、硫黄島1,051人、北硫黄島103人もの人が住んでいました。硫黄島では、今でも火山活動によって面積が広がっており、父島を抜いて小笠原諸島で最大の島になっています。

https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/ioutou_index/ioutou_photo/

第二次世界大戦が勃発し、豊かで平和だった硫黄島は本土防衛の最前線とされ、陸上戦になる可能性が高まったため、硫黄島に住んでいた島民たちの大半は強制疎開させられました。しかし、一部の青年たちは兵士の一員として駆り出され、82名の島民が軍と運命を共にしました。そして、島の地形が変わるほどの爆撃を受けながら、最後まで徹底抗戦して玉砕しました。戦死者は日本側約20,000人、アメリカ側約7,000人にも及び、太平洋戦争の中でも屈指の激戦地であり、悲劇に見舞われた島です。

硫黄島で最後に投降した日本兵は、1949年まで水も食料も乏しい硫黄島で潜伏し続けていました。菊村到の「硫黄島」という小説に書かれており、芥川賞を受賞し、映画化もされました。

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現在の硫黄島の状況

現在、硫黄島は、日本の重要な拠点として海上自衛隊の基地になっており、一般人の立ち入りは制限されています。しかし、硫黄島にはかつて硫黄島に住み、そして戦争に駆り出された島民たちの骨が家族の元に帰ることなく今も埋まっています。また、戦争が激しくなる前に、硫黄島で埋葬され現地に残されたままになっている旧島民のご遺骨もあります。

管理する人もなく、ボロボロになった旧島民墓地は、サソリやムカデがうじゃうじゃで、昔は岩陰や山のへりには、ご遺骨が転がっており、ツルハシやスコップの必要もないくらいでした。今、その場所は硫黄島島民平和記念墓地公園になっています。

本土に強制疎開させられた元硫黄島の住民は、東京都内に住んでいることが多いですが、少しでも硫黄島の近くに住みたいと希望した旧島民の中には、小笠原諸島父島に住んでいる人もいます。

小笠原諸島に住む小中学生は、戦争学習の際に硫黄島についても詳しく学びます。その中で硫黄島見学もあり、おがさわら丸で硫黄島に向かい、船尾から硫黄島に上陸、もしくはボートに乗り換えて硫黄島に上陸します。硫黄島は現在でも土地が隆起しており、長年使える港を作ることが困難なためです。土地がどんどん隆起しているため、米軍が上陸するために沈めた軍艦が顔を出し始めている場所もあります。

北海道新聞の「令和の硫黄島」で、硫黄島で2週間滞在して取材した記事や、現在の硫黄島の様子が特集されています。

硫黄島で現在も続くご遺骨収集

硫黄島ではアメリカ兵7000人が亡くなっていますが、アメリカ兵の遺骨は全て収集され、アーリントン国立墓地に埋葬されています。しかし、死亡した旧日本兵約2万1900人のうち、収容された遺骨は約10500柱にとどまっており、未だ半数以上の方のご遺骨が硫黄島に眠っています。米軍の爆撃により、地形が変わったことと経年により、どこがどういった場所なのかわからなくなったこともご遺骨収集が難航している理由ですが、アメリカが硫黄島に作った滑走路の下にご遺骨がたくさん眠っているのではないかとも言われています。硫黄島の滑走路は、自衛隊を含む硫黄島にアクセスするために重要なので、なかなか滑走路を壊して下に埋もれているご遺骨がないかを探すのは困難です。

硫黄島に眠るご遺骨を少しでも家族の元に返そうと厚生労働省の委託を受けた団体が、年4回自衛隊協力のもと、硫黄島に渡り、発掘をする作業が現在でも続いています。この活動に参加する人のほとんどがかつて硫黄島に住んでいた旧島民の親類です。

硫黄島へは、小笠原諸島父島にある海上自衛隊のヘリや輸送機で向かいます。そして、硫黄島への帰島が叶わない旧島民の宿泊施設として、小笠原村硫黄島平和祈念会館が整備されています。

硫黄島は、沖縄とほぼ同じ緯度のため、気温が高いのに加え、硫黄が噴き出る土地柄地熱もあり、灼熱地獄のような暑さです。その上、硫黄島での陸上戦ではたくさんの壕が地下に掘られ、そこでたくさんの方が亡くなったため、遺骨収集のほとんどが蒸し返すような暑さの壕の中での作業になります。送風機で風を送りながら壕の中で作業を行います。爆撃や風化で埋まってしまったかつての壕を見つけるための発掘作業もあり、重機を用いることもあります。

狭い地下壕の中をスコップで掘削し、土を手箕に入れ蹲踞の姿勢になりながら、バケツリレー式で壕の外へ、さらにその土をふるいに掛け遺骨の混在を確認していきます。

発見されたご遺体の近くに名前が残っていたり、真鍮に彫られた認識番号がご遺体に残っていれば、ご遺骨の身元が特定できるため、遺骨は一旦火葬して、家族に返すことができますが、ほとんどは誰だかわかりません。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/595104/

発掘されたご遺骨は、航空自衛隊入間基地で、基地隊員に着剣捧げ銃(ささげつつ)の儀礼上最高位の敬礼で出迎えられ、都内の仮安置室に向かいます。そして、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で遺骨引き渡し式が行われ、出迎えのご遺族が見守る中、派遣団から厚生労働省職員に遺骨が引き渡されます。

http://www.nippon-izokukai.jp/category/ikotsukikan/page/2/

日米合同の慰霊式典

硫黄島上陸作戦の開始から40年後の同日に、島で戦った日米双方の兵士とその遺族ら502名が、第1回の硫黄島戦没者合同慰霊顕彰式で再会しました。この碑は、その際に日米両国の永遠の平和と友好を誓って、硫黄島協会と米国海兵隊第3・第4・第5師団協会が共同で建立した記念碑です。

幼少期にかつて住んでいた家の跡が見つかった

私が話を伺った方のお母様が硫黄島出身の方で、幼い時に戦争のために本土へ強制疎開され、父親を硫黄島の陸上戦で亡くされました。

硫黄島は、現在では大半がジャングルで覆われ、お母様が幼少期に住んでいた家は、どのあたりにあるのか場所もわかりませんでした。しかし、当時の地形を覚えていた人が硫黄島に同行し、記憶をたどり、家の痕跡を発見することができました。そこには、壁などは爆撃で吹き飛ばされ、柱の跡やトイレの跡が残されていただけでした。それでも、かつての家の趣を思い出し、お母様は涙を流して感激されたと言います。

奈良県民の私には、柱の跡が残っているような遺跡は見慣れたもので、大した感想ももったことがありませんでしたが、この話を伺い、これまでの人生観が変わりました。

硫黄島が今でもこれからも「無人島」であり続ける理由

https://news.yahoo.co.jp/articles/09467320e362a96fd7b61034c53d3a3314e6c789?page=3

現在、硫黄島は、海上自衛隊の基地として政府の管理下にあり、旧島民やその子孫達が硫黄島への帰島を願い続けていますが、未だに帰島は実現せず、硫黄島に残されたお墓を日帰りで墓参りする程度です。

終戦後、小笠原諸島は1951年のサンフランシスコ条約によりアメリカの領土となり、1967年にやっと小笠原列島と硫黄列島の施政権が日本に返還されました。しかし、日本政府の決定は「帰島及び復興計画の対象は、当面父島及び母島」にする、というものでした。硫黄島に関しては、不発弾の処理と火山活動の安全性の確認を理由に対象から外されてしまったのです。

そして1984年の小笠原諸島振興審議会のもとで、硫黄島は火山活動が活発であり、漁業施設の建設が困難であることから、硫黄島での定住は困難であると結論づけました。その背景には、すでに硫黄島に自衛隊基地が配置されており、住民のいない硫黄島では騒音などに配慮する必要がなく、訓練場所として好都合だったこともあるでしょう。

こうした理由で、硫黄島は民間人が立ち入ることのできない無人島となり、住民の帰還を前提とした施策は行われていません。かつて硫黄や漁業で栄えた硫黄島は、現在もそしてこれからも「無人島」であり続けるのです。

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JYMAで遺骨収集ボランティアに参加する

https://www.facebook.com/NPOJYMA/photos/a.818828244872983/2774848979270890

JYMA日本青年遺骨収集団(Japan-Youth-Memorial-Association)は昭和42(1967)年6月「学生慰霊団」として発足して以来「慰霊」と「伝承」の二大使命のもと、旧戦地において遺骨収容活動を行う団体です。他にも、旧激戦地に建立された慰霊碑の保全活動、昨今の現代史教育に不足している戦時下の日本についての勉強会や戦史検定事業(受験費用が慰霊碑の修繕や鹿児島の復興支援金に使われます)、また先の大戦の戦場となった国の方々との平和交流事業や高校生同氏の交換留学事業なども行なっています。

増補版 太平洋戦争通史 ?開戦決定から降伏調印まで一三七九日の記録

戦史検定の参考書として推奨されている本です。

【戦史検定】初級セミナーノート~陸軍編~
【戦史検定】初級セミナーノート~海軍編~

も参考になります。

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遺骨収容活動に関しては、令和元年度沖縄自主派遣(令和2年2月実施)までに計465次に亘り、のべ2,100人の青年有志をかつての戦地へと派遣し、165,767柱のご遺骨の帰還に携わっています。

「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」が施行した平成28年度からは、一般社団法人 日本戦没者遺骨収集推進協会の構成団体として、世界各地での遺骨調査・収容活動を実施しています。

硫黄島への遺骨収集派遣は、2週間程度の期間で、費用3万円が自腹になります。

硫黄島内の自衛隊の基地で短期バイトする

硫黄島に行くには、自衛隊の基地内で働く、という方法もあります。バイトの募集がかかる職種は [A][P]小笠原諸島での(1)調理師(2)調理補助(3)宿舎清掃 です。毎年4〜6月に米軍と自衛隊が共同機運練を行うのですが、その時に調理や宿舎の掃除をする仕事です。

経験者によると圧倒的に宿舎の掃除が良いそうです。宿泊料などは無料ですが、食費が一日1111円(一食あたり370円くらい)かかるそうです。日給は調理師は1,1000円、調理補助と宿舎清掃は9000円なので、結構いいかも。期間は短期募集で、2ヶ月前後が多いようです。

一般財団法人 防衛弘済会 離島事業室」というところでバイトの募集がかかることがあるので、たまにチェックしてみてください。(毎年2月頃に出ます)

遺骨収集が行われている地域

【南方及び北方地域等の遺骨収集】

①ミャンマー ②マリアナ諸島(グアム島・北マリアナ諸島) ③パラオ諸島 ④トラック諸島 ⑤マーシャル諸島 ⑥東部ニューギニア ⑦ビスマーク・ソロモン諸島(ブーゲンビル島・ガダルカナル島等)  ⑧インド ⑨フィリピン ⑩インドネシア ⑪硫黄島 ⑫その他地域(モンゴル、樺太・千島等)

【旧ソ連抑留中死亡者の遺骨収集】

①ハバロフスク地方 ②イルクーツク州 ③カザフスタン

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