古代エジプト文明を守るためユネスコによって再現されたナイルの真珠【フィラエ島】

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ユネスコ世界遺産創設のきっかけになったフィラエ島

フィラエ島は、エジプト南部のアスワン近郊のナセル湖に浮かぶ島で、紀元前3~紀元前4世紀のプトレマイオス朝時代に建てられたヌビア遺跡群がある場所です。ヌビアとは、アスワンあたりからスーダンにかけての地方の名称です。ヌビアは古代から金や鉄、銅などの鉱物資源に恵まれ、エジプトにとって重要な役割を担い、ヌビアの内現在はスーダン領になっている場所では、クシュ文明が繁栄しました。

ヌビエ遺跡群

ヌビエ遺跡群の中心となるのがイシス女神を祀るイシス神殿で、神殿の壁面には神々の姿を描いたレリーフが残っており、ナイルの水源の図など女神イシスの神性を表すレリーフもあります。

イシス女神は、古代エジプトの神オシリスの妹であり妻でもあり、古代ローマ帝国の皇帝やローマ人たちも崇敬される存在でした。それを表すかのように、イシス神殿があるフィラエ島には、ローマ帝国のアウグストゥス、トラヤヌス、ハドリアヌスなど歴代の皇帝がキオスク、塔門などが残っています。

元々イシス神殿があったフィラエ島は、イシス女神の聖地であり「ナイルの真珠」と称えられる美しい小島でしたが、ここにアスワンハイダムの建設が予定され、ダムの建設に伴ってヌビア遺跡群は水没される運命でした。しかし、世界中の人々が歴史ある貴重なヌビア遺跡群を守るために、ダムに浸水されない場所に遺跡群を移転させました。寄付を募り、ヌビア遺跡群を守るためにユネスコが主導権を取り、これがユネスコ世界遺産の活動の原点となりました。

アスワンハイダムとナセル湖の造成後、フィラエ島は浸水し、最終的には完全に水没しました。現在、イシス神殿のある島は、フィラエ島に地勢がよく似た「アギルキア島」なのですが、ユネスコは、移築に際して島の環境をフィラエ島とそっくりに再現し、島の名前も「フィラエ島」と改名しました。

一大文明を築き上げた古代エジプト

ナイル川近郊で繁栄し、世界四大文明の一つとして、ピラミッドやスフィンクスに代表される巨大石建築をつくりあげた古代エジプト。

エジプト内やエジプト近郊の地域では、王家の墓としての権威を象徴するピラミッドが多数作られましたが、これはエジプト王朝がいかに権力を持っており、そしてエジプト文化がその地域にまで広がっていたことを意味します。古代日本において、権力をもった豪族たちが全国で前方後円墳を作って権力を誇示していたことと同じです。

4世紀末にテオドシウス1世が、帝国内の全ての古代神殿を閉鎖しようとしたとき、フィラエ神殿は抵抗を続け、周辺地域の宗教的自由が保証される条約が結ばれ、その条約は約100年間守られました。しかし、550年に東ローマ帝国のユスティニアヌス1世によりフィラエ神殿は閉鎖され、閉鎖後は、4つのキリスト教会として再利用されました。 

神話「バベルの塔」はピラミッド建設に際する言語の混乱だった?!

旧約聖書に書かれているバベルの塔。

「太古の昔、天まで届く塔を建てようとする人間の傲慢さに、神が怒った。

当時全ての人間は同じ言葉を話していたが、神の罰で異なる言葉を話すようになった。」

所詮聖書の話で、作り話でしょ、神話でしょ、という人もいるかと思います。しかし、同じく旧約聖書の中の「ノアの箱舟の伝説」のような大規模な洪水は実際にあった、という説があるように、バベルの塔も本当にあった出来事かもしれません。
日本の古事記の話に本当の出来事が含まれるように、旧約聖書にも本当の出来事が含まれているかもしれないのです。

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このバベルの塔の塔は、エジプトのピラミッドではないか、という説があります。バベルは、古代都市バビロンからきているといわれ、バベルの塔のモデルは新バビロニア王国の王ネプカドネツァル2世が建設したジッグラトだと言われています。ピラミッドは、漢字で書くと「金字塔」。 後世に永く残るすぐれた業績や不滅の業績を成し遂げたときには「金字塔を打ち建てる」などと言います。この金字塔は、バベルの塔のこともさし得るのではないでしょうか。同じ「塔」がついてるし!昔はピラミッドも塔のように見えたのかも?そもそも高い建造物のことをすべて「塔」と呼んでいたのかも。

エジプトでのピラミッド建造は、大きな国家プロジェクトでした。当時の技術では20年、今の建築技術をもってしても5年はかかると言われています。

ここからは私の推測、考察なのですが、このピラミッドを建造している時、なんらかのアクシデント、つまり洪水や落雷があり、多くの労働者が死亡した。ピラミッドは、ご存知の通り、王の墓であり、王の権威を示すものです。このままではピラミッドを完成することができず、王の権威を示すことができないと考えた王は、異国と戦争をし、その捕虜をピラミッドの労働者に回した。今までは同じ国内の労働者だけで、建築をしていたが、アクシデント後、急に異国の言葉を話すものが増えた。労働に勤しんでいた、労働者たちは、自国が戦争をしていたということなど知る由もない。これは神の罰ではないか…と学も無く、異国に行ったこともなかった労働者が考えるのは不思議ではない、という仮説です。

実際、ネプカドネツァル2世は、王位にあったときに何度も戦争をし、ユダ王国を占領し、世界史でも必ず習う「バビロン捕囚」がありました。ピラミッド建設に際し、「専門的な職人を用いた説」、「ピラミッド建造は定期的に発生したナイル川の氾濫によって農業が出来ない国民に対して、雇用確保のために進められた公共工事的な国家事業であった説」などがありますが、他国から連れてきた奴隷を用いた場合には、ユダ王国から連れてきた奴隷であった可能性もあります。

新バビロニア王国では、アッカド語(アッシリア・バビロニア語)が使われており、これは古代メソポタミアで話されていたセム語派の言語で、当時は国際共通語でもありました。メソポタミア地方を中心として使われており、北東セム語派とも呼ばれ、現在知られる最も古いセム語です。一方、ユダ王国では、シリアやパレスチナ地方を発祥地とする北西セム語派のヘブライ語が使われていました。かなり近い言語ではありますが、何らかの天災の後、急に異国の言葉を話すものが増えたと考えられてしまうこともあるのかな、という考察でした。

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