世界遺産かくれキリシタンの離島 五島列島の迫害された歴史

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「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン」の違い

禁教時代のキリスト教徒は一般に「隠れキリシタン」と呼ばれてきましたが、禁教が解かれた現在でも「隠れキリシタン」の信仰は九州の一部で受け継がれています。そこで、禁教時代のキリシタンを「潜伏キリシタン」、現在まで残った宗教を「かくれキリシタン(カクレキリシタン)」と区別しています。

世界文化遺産に登録された長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産について

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迫害され続けたキリシタンの歴史

【第一期】キリシタン時代(1549年~1644年)

 1549年、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝え、信徒の数は急激に増えましたが、1614年に禁教令が出された後は、激しい迫害にあいました。キリスト教布教のために、宣教師が信徒に寺社仏閣を焼くように指示し、実際にたくさんの寺社仏閣が焼失し、それに徳川幕府が脅威を覚えたため禁教令が出されました。

【第二期】潜伏時代(1644年~1873年)

1644年に最後の宣教師・小西マンショが殉教し、ここから日本には指導者が1人もいない信徒だけの時代となりました。1865年、来日したパリ外国宣教会のプチジャン神父らと、浦上の潜伏キリシタンが出会い、日本で信者がいたことが発覚する「信徒発見」がありましたが、迫害は明治以降も続きました。

【第三期】復活時代(1873年~)

1873年に明治政府がキリシタン禁制の高札を取り下げ、事実上、キリスト教は解禁となりました。以後、潜伏キリシタンは二つの道に分かれることになります。一方は外国人神父のもとで教義を学び直した正調のカトリック教徒、もう一方が潜伏時代の信仰形態を守り続ける「かくれ(カクレ)キリシタン」です。


 「潜伏キリシタンは幕府の厳しい弾圧にも耐え、仏教を隠れ蓑として命がけで信仰を守り通した」と言われてきましたが、この通説はすでに崩れはじめています。

実際に下五島に訪れた時の記事がこちら↓

『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』

夢とロマンに包まれた従来のキリシタン像は幻想にすぎない

キリスト教が伝来してきた当時、日本は徳川政府の終末でした。年貢を取り立てられ、身分も厳しく決められ、ギリギリで生かされているような状況で、働けど働けど裕福にはなれず、人生の先に希望を見出すことは困難でした。そんな中に伝わってきたのがキリスト教だったのです。しかし、長崎の五島列島までは、キリスト教がどのような宗教であるか説いてくれるひとりの指導者もいませんでした。元々日本は、多神教である仏教や神道が信仰されてきましたが、突然一神教であるキリスト教が伝来し、布教されていきました。

キリシタンの急増期、なぜ短期間に多くの日本人が改宗したのか

多神教の世界に生きる日本人が、いきなり一神教であるキリスト教に改宗できるはずがありません。「従来の神仏信仰の上に、さらにキリシタンという信仰要素をひとつ付け加えたにすぎなかった」のです。一般の庶民は「キリストやマリアがどのような存在なのか、まったくといってよいほどわかっていなかった」し、キリシタン大名の主な目的は南蛮貿易でした。大村純忠は最初に受洗したキリシタン大名ですが、南蛮貿易を成功させるために宗教から取り入ったに過ぎず、家臣や領民、仏僧までを強制的に改宗させ、神社仏閣を破壊しました。大友宗麟、有馬晴信、高山右近らも同様です。キリシタンが急増したのは集団改宗の結果であって、一部の知識人以外は必ずしも自由意志によるものではないのです。そもそも上流階級の人しか読み書きはできず、聖書や宗教用語の意味を知っている人はごくわずかでした。
改宗した信徒たちは、聖像、聖画、十字架、メダイ、ロザリオなどの聖具を競って求めたましたが、それは改宗する際に破棄させられた神仏具に代わるものだったからに過ぎません。

潜伏キリシタンたちはなぜ禁教時代も信仰を守ったのか

「それは先祖が大切にしてきたから」だとキリシタン研究の第一人者である宮崎賢太郎は言い切ります。神仏信仰の寺請制度の下で暮らすキリシタンは「仏教徒として、また神社の氏子としての務めもしっかりはたし、それに加えて「先祖伝来のキリシタン信仰」も併せ行って」いました。オラショ(祈りの言葉)は意味不明な呪文で、秘密を守ったのは、先祖のタタリや仏罰を恐れてのこと。つまり彼らが信仰したのは、先祖伝来の土俗化した宗教で「現代のわれわれが思い描く一神教的なキリスト教とは似て非なるもの」だったのです。これは遠藤周作の『沈黙』でも、日本の潜伏キリシタンに出会った宣教師が、従来のキリスト教とは全く違った日本独特の宗教観でキリスト教を信仰している信徒たちに驚く場面が描かれています。

キリシタンを取り締まる側の幕府の役人

一方で、キリシタンを取り締まる側の幕府の役人も、キリシタンとは何かをわかってはいませんでした。そもそも秀吉が伴天連追放令を出したのも、キリシタン大名らに神社仏閣を破壊するなどの過激な行動があったからでした。キリシタンは、日本古来の宗教を破壊するあやしげな「異宗」として弾圧されたのです。これは現代人がオウム真理教などの新宗教を、あるいはISSやアルカイダを見る目と同様でしょう。
今日のキリシタン研究も、キリシタンは潜伏時代に仏教や神道と習合して土着の宗教に変容した、という説が主流を占めています。 

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『かくれキリシタンの起源』

キリシタン信仰と現代のカトリックとの比較

キリシタン信仰が日本の既存の宗教の影響を受けていることは認めつつ、中園成生は「かくれキリシタン信仰の実相は、あくまでキリシタン信仰との比較によって理解されるべきものである」と主張しました。つまり禁教時代を経て継承されたキリシタン信仰は、布教された時代から形が変わっていない可能性があり、現代のカトリックではなく、16世紀、キリスト教が伝来した第一期の信仰要素と比較すべきだということです。現代のカトリックの教えは、生活様式の変化によって臨機応変に形を変えてきたからです。

現在と過去の信仰との比較

キリシタン信仰と現代のカトリックとの比較をするために、中園がとった方法は、現在の長崎県各地(平戸、生月、浦上、外海、五島)や天草(熊本県)、今村(福岡県)などに残っている「かくれキリシタン」の風習と、16世紀の宣教師らが書き残した当時の信仰要素(組織、施設、墓地、聖画や聖像などの信仰具、洗礼や葬儀など人生儀礼、年中行事、オラショの文言など)を並べて、子細に比較検討することでした。

変わることなく継承されたキリシタン信仰の要素

「禁教以降の欠落・転も多少あるものの」、「かくれキリシタン信仰には、各地域の宣教師との接触が断たれる前のキリシタン信仰の要素がそのまま継承され」ていることがわかりました。宣教師がいなくなったからこそ勝手に改変ができず、「かくれキリシタン信仰では、宣教師が居なくなる前の信仰形態を継続することしか出来なかった」のです。その証拠にオラショの中には、ヨーロッパで失われてしまっていたものも日本では伝承されていた、という調査もあります。 

かくれキリシタンの起源《信仰と信者の実相》

かくれキリシタンの起源《信仰と信者の実相》

大きく分かれる二つの見解

宮崎も中園も自ら各地のカクレ(かくれ)キリシタンへの調査を行っており、使用している資料にも大きな差はありません。
かくれキリシタンはキリスト教徒ではなく「典型的な日本の民俗宗教」と強調する宮崎。それに対して、かくれキリシタンは弾圧の危険の中で、仏教や神道と並存させつつ「信仰形態を継続させる事を自ら選択した強い人々」と主張する中園。
おそらくそのどちらにもあてはまるのでしょう。救ってほしいという願いから、できるだけ元の布教されたままの信仰形態を残しつつ、それでいて日本で生きる上で最も信仰しやすい形を選択したのが「かくれキリシタン」なのではないでしょうか。

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宮崎賢太郎の著書 おすすめベスト3

宮崎賢太郎推しということではないのですが、本がとても分かりやすく幅広い知識を網羅しているので、キリシタンについて興味が湧いた人にはこちらも参考にしてみてください。

おすすめ①『カクレキリシタン オラショー魂の通奏低音ー』
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西洋で忘れ去れたのちも日本で歌い継がれるオラショ。鳥肌もののオラショの話についてはこちらの本がとても参考になります。
おすすめ②『カクレキリシタンの実像 日本人のキリスト教理解と受容』

日本は神道であり、どうしてもキリスト教とは相容れない部分があるように思います。そんな日本人のキリスト教の受容と理解について触れた本です。 

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おすすめ③『カクレキリシタン 現代に生きる民族信仰』 

こちらも話題になった一冊。長崎、天草地方で信仰されるキリスト教はもはや西洋で信仰されるキリスト教ではなく、日本人が自分たちが救われるために変化させてきた民族信仰になっている、という説。

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