【キリシタン弾圧の歴史を刻んだ五島列島】上五島編 無人島にそびえたつ立派なレンガ造りの教会 野崎島

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目次

野崎島の魅力

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野崎島は自然の壮大さを感じる場所、そして野崎の歴史を学び肌で感じることができる島です。廃校となった小値賀小中学校野崎分校は、簡易宿泊施設・休憩施設「野崎島自然学塾村」として管理されています。
野首・舟森集落跡とそれを結ぶ里道を加えた「野崎島の野首・舟森集落跡」が、『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』として世界文化遺産登録されました。 

野崎島へのアクセス

野崎島の基本的なアクセスは、九州本土(佐世保港・博多港など)または五島列島(福江島・中通島)から、まずは小値賀町の本島である「小値賀島」に入り、小値賀と野崎島を結ぶ町営船「はまゆう」を利用します。片道520円です。

下の写真の野崎島ビジターセンター前に船が泊まります。

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「はまゆう 」の出航場所や、出航時間は下記ホームページを参考にしてください。「はまゆう 」の予約は電話予約になります。

http://ojikajima.jp/category/nozakijima/nozaki_access

ちなみに、「はまゆう 」の集合場所はここです。

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野崎島のツアー集合場所はこの「はまゆう 待合所」になります。ここで 「野崎島渡航確認カード」が渡され、首に掛けます。

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野崎島の観光

旧野首教会や野首集落などへは自由に自分で観光できるのですが、沖ノ神島神社と巨石を見に行こうと思うと、ツアーに申し込んだ方が安全です。ツアー料金は5500円です。少し高いですが、沖ノ島神社は、山深くにあり、イノシシの目撃情報があったり、各自で行こうとして迷って遭難した、というケースも多々あるようです。

鹿はそこら中にいました🤣

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実際に行ってみて、途中道が荒れていて、確かに、ガイドがなければ頂上までは行くことがかなり難しいと思いました。

道中看板はあるものの、道が崩れていたりと、なかなか自分だけで行くのはハードルが高いです。

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 ツアーメンバーにもよりますが、沖ノ神島神社と巨石を見た後、旧野首教会や野首のお墓なども個人で自由に見学に行く時間はあります。

沖ノ神島神社と巨石のツアーの予約はこちらの電話番号から電話予約でできます↓

http://nozakijima.jp/taiken.html

野首海岸

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野崎島東側の中央に位置し、約300 mにわたって続く広大な白い砂浜が続き、朝日鑑賞の絶好のスポットです。

とにかく海がとっても綺麗でした!沖縄にも負けない綺麗さです😍😍

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沖ノ神嶋神社

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慶雲元年(704年・飛鳥時代)に、小値賀島にある地ノ神嶋神社と向かい合う形で創建されたといわれている神社です。本殿自体は、簡素な建物ではありますが、灯篭や狛犬は、立派です。よくぞこんな険しい山の中に持ってきて、建てたな、と思いました。もはや崖です。

王位石

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王位石は、沖ノ神嶋神社社殿の奥にそびえたち、高さ24メートル、横幅 12メートルという巨石です。自然の産物か、人の手によって建てられたものなのかも、謎に包まれています。この石の上に神嶋明神が現れたという話をはじめ、多数の伝説があり、ロマンあふれる場所です。

野首集落と旧野首教会

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野崎島に建つ旧野首教会は、野崎島のちょうど中心にあたる、小高い丘の上に残るレンガ建築の小さな教会です。教会が建つ「野首集落」は潜伏キリシタンが移り住んだと言われる集落で、野崎島にかつてあった3つの集落のうち、舟森集落と共に信仰が深かった地域とされています。

キリスト教の信仰が解禁され、信者たちは、1882年に木造の教会堂を建てました。その後、集落に住む17世帯で本格的なレンガづくりの教会を建築することを計画し、建設費を捻出するために共同生活を始め、キビナゴ漁などで資金を蓄えました。そして1908年、教会建築の名工・鉄川与助の設計施工による野首教会が完成しました。禁教の時代に厳しい弾圧を耐え抜き、信仰の自由を手に入れた人々の、抑圧からの解放と喜びという崇高な精神性の象徴といえます。

野崎島が無人島となり、教会としての役目を終え、人々の消えた集落に佇みつづけた旧野首教会は、その後、小値賀町が重要な文化財として1985年に全面改修され、現在も野首の高台から海を見つめています。

ちなみに、長渕剛の新曲「Amen」のMVの舞台として野首教会が使われたようです。長渕剛ファンの方は、ぜひ聖地巡礼として野首教会に訪れてみてください!

長渕剛の新曲「Amen」👇
長渕 剛 Tsuyoshi Nagabuchi – Amen (Official Music Video)

野崎島の歴史

野崎島には、野崎集落の人々が信仰した「神道」と、野首・舟森集落の人々が信仰した「キリスト教」と2つの深い信仰がありました。島の北部の山に覆われた山中には、海に向かって沖ノ神嶋神社が社殿を構え、その後方には「王位石(オエイシ)」とよばれる24mにもなる鳥居型の巨石がそびえ立ち、聖なる場所として野崎島をはじめ小値賀本島からも崇められてきました。
島の中心部に位置する野首集落跡には、潜伏キリシタンであった住民たちが建てた旧野首教会が高台から海を見渡しています。

野崎島が無人島になるまで

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野崎島にもかつては、野崎・野首・舟森という3つの集落があり、昭和30年代には650人以上の住民が暮らしていましたが、現金収入を得るため多くの人々が出稼ぎにいくようになりました。そして平成13年、当時最後の住民であった沖ノ神嶋神社宮司の離村により、現在は、簡易宿泊施設・休憩施設「野崎島自然学塾村」の管理者以外誰も住んでいない無人島になっています。

野首の一帯は、1716年、江戸初期に壱岐から小値賀に移り住み、捕鯨、新田開発や酒造業を営んで小値賀に大きな富をもたらした豪商・小田家が開墾したという記録が残されていますが、そこから人が住み着くことはありませんでした。

タンスなどの当時の家具がまだ残されていました

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しかし、1797年、五島藩が土地開拓の為の民を大村藩に依頼し、外海(そとめ)地区から100名ほどの人々が海を渡り、野崎島に渡った2組の家族が、野首集落に住み着くことになりました。海を渡ったほとんどが、キリシタン摘発から比較的逃れやすいとされた新天地「五島」での暮らしを望んだ潜伏キリシタンであったと云われています。

1865年、大浦天主堂での「信徒発見」の知らせは野首の信者たちにも届き、翌年、長崎県の大浦天主堂で一部の人々は洗礼を受けたと言われています。しかしその信仰の復活は小値賀の押さえ役所の知る所となり、野首で8戸と舟森で7戸の全員が平戸に連行され、強制改宗を迫る拷問を受けました。島民たちは改宗を申し出、翌年に野崎島に帰ることを許されましたが、彼らの集落や家は荒らされ、すべて略奪されていました。迫害から解放されたのは1873年の高札撤去後でした。

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時代の流れとともに、野崎島の人口流出は続き、野首の南側にあった舟森集落も、戦後は34戸が暮らしていましたが、1971年には最後の6家族が島を離れ、野首集落は廃村となり、一時期は荒れ果てた状態にありました。

野崎島にある王位石までの登山の様子をGoProで撮影してみたので、

これから野崎島に行こうと思っている人はぜひ参考にしてみてください。結構ハードな道のりです。私は、ドクターマーチンの革靴で行きましたが、登山に慣れていない人は、ちゃんとした登山靴の方がいいかも。
無人島 野崎島にある王位石と野首教会にいってみた

 野崎島に興味を持った方は、こちらの本を参考にするのがおすすめです。

豊かな海と野生シカの島―五島列島・野崎島だより

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