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文化遺産の離島㉚フヴァル島(クロアチア共和国)

アドリア海に浮かぶフヴァル島の街スターリ・グラードは、紀元前4世紀の姿をそのままに残した貴重な都市として、「フヴァル島のスターリ・グラード平地」で2008年に登録されました。

ブドウやオリーブを栽培するために幾何学的に区切られた農地は、2400年後の今でも同じシステムが使われ、独特の景観を残しており、地中海における農業の歴史とその発展を知る上で重要です。

文化遺産の離島㉛エーランド島(スウェーデン王国)

スウェーデン南部のバルト海にあるエーランド島には、16〜18世紀に作られた大小400もの風車と先史時代の石塚が残っています。新石器時代の住居跡やヴァイキングの墓が風車に混ざって点在している景観は、5000年間の「エーランド島南部の農業景観」を表しています。

連綿も有名で、化学物質を使わずに、自然の色で染め上げたオーガニックな毛糸は日本でも大人気です。

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文化遺産の離島㉜モン・サン・ミシェル(フランス)
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フランスの世界遺産といえば、モン・サン・ミシェル!!19世紀後半にモン・サン・ミシェルの対岸のアブランシュの街を結ぶ長い防波堤が築かれたために、今では砂がたまり、歩いても行けるようになったため、離島というイメージはあまりないかもしれませんが、2015年の皆既日食の影響で大潮になった時の画像を見れば、孤島であることが分かります。この防波堤のせいで砂や泥が溜まってしまったので、防波堤を撤去し、2015年橋が建設されました。

708年にこの地に住んでいた司教オベールが、大天使ミカエルの夢のお告げに従って岩山に聖堂を建てると津波が押し寄せ、一夜にして岩山が島と化したと言います。

10世紀末にノルマンディー公リシャール1世がこの岩山にベネディクト会の修道院を創建し、この時に作られた地下礼拝堂は、ノートル・ダム・スー・テール聖堂と呼ばれています。10世紀の創建以降数世紀に渡って増改築が繰り返され、現存する建物は、18世紀に復元されたものです。13世紀にはフィリップ2世の寄進によって修道院の北側に後に「ラ・メルヴェイユ(脅威の建築)」と呼ばれる壮大なゴシック様式の建物になりました。

14世紀の百年戦争では、修道院は閉鎖されて城壁や塔が築かれ、修道院と要塞が融合した現在の姿になりました。16世紀の宗教戦争の際にも旧教徒軍が立てこもって新教徒軍の攻撃を凌ぎ、18世紀末のフランス革命の際には囚人の監獄として使われました。20世紀半ばにやっと修道院として復興します。

聖堂の身廊部は創建当時の姿をよく残しており、ノルマンディー・ロマネスク建築の代表とされる一方、16世紀前半に完成した聖堂の内装はゴシック様式であったりと、中世のさまざまな建築様式が混在しているのが特徴です。

修道士の瞑想の場である最上階の回廊は、約220本の円柱や繊細な彫刻が施されたアーチからなり、優美なゴシック様式です。

文化遺産の離島㉝シュプレー島(ドイツ)

ドイツの首都ベルリン市街を流れるシュプレー川の中洲にあるシュプレー島には、旧博物館、新博物館、ナショナルギャラリー、ボーデ博物館、ペルガモン博物館の5つの美術館と博物館が立ち並ぶ複合博物館地区となっており、「ムゼウムスインゼル」=「博物館島」と呼ばれています。

この中洲に最初に造られた博物館は、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の命により1824〜1830年に建造された旧博物館です。その後即位したフリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、1841年旧博物館がある中洲を「芸術と科学の聖域」と定め、ここに複数の博物館を建設することを計画しました。

そして、1859年に新博物館が、1876年にはナショナルギャラリーが建設され、ドイツ帝国樹立後も1904年にボーデ博物館が、1930年には5番目のペルガモン博物館が建造されました。ムゼウムスインゼルは、複合文化施設の先駆けであるとともに、近代博物館建築の歴史を示しています。さらに、この近隣には、フンボルト大学やベルリン国立歌劇場、ベルリン大聖堂があり、ドイツ有数の文化地区が形成されています。

文化遺産の離島㉞パスクア島(チリ)
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チリの本土から西へ約3700kmの南太平洋に浮かぶ面積119k㎡のパスクア島にある「ラパ・ニュイ国立公園」は、復活祭の日に発見されたため、日本ではイースター島とも呼ばれ、アフと呼ばれる祭壇に立ち並ぶモアイ像が有名です。貴族・神官・戦士・農民の4つに分かれていた先住民族のうち、貴族の先祖を祀るものだと考えられています。プカオと呼ばれる赤い帽子のような石造物がモアイ像の上に載せられていることや、全てのモアイ像が海に背を向けている理由、どのようにして運ばれたか、など謎は残っています。

ポリネシアに起源を持つ長耳族と呼ばれる種族が4〜5世紀ごろにカヌーに乗って移住してきて、ホッマッアという名の首長の下、集落を結成し、6世紀頃から石像モアイの制作が始まったと考えれています。

モアイ像の石は、島の東に位置するラノ・ララク火山の周辺で採れる凝灰岩を原料にしており、採石場には今も放棄されたモアイ像が400体も残っています。6〜11世紀のモアイ像は概ね5〜7世紀でしたが、12世紀に短耳族が移住してくると、高さ10mを超えるモアイ像も制作されるようになり、最大20mのものもあります。

16世紀になると、人口増加で島が食糧難に陥り、長耳族と短耳族の間で争いが勃発し、互いのモアイを倒し合う「フリ・モアイ」が行われました。

18世紀になって、モアイ像を信仰していた貴族階級に代わって、戦士階級が権力を握ると、島の最高神であるマケマケ神の化身とされる鳥人カルトが信仰されるようになり、モアイ像は作られなくなりました。

文化遺産の離島㉟リバティ島(アメリカ)
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アメリカのニューヨークにあるマンハッタン島は、西をハドソン川、東をイースト川とハーレム川、北をスパイテン・ダイヴィル川(およびハーレム川運河)、南をアッパー・ ニューヨーク湾に囲まれていますが、そのマンハッタン島の南西に浮かぶリバティ島には、アメリカの象徴とも言える「自由の女神像」が立ち、19世紀の鉄鋼技術の最高傑作とされています。

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「自由の女神像」は、アメリカ合衆国の独立100周年を祝ってフランスから贈られました。建設を発案したのは、法学者で政治家のエドゥアール・ラブライエで、彫刻家フレデリック・バルトルディが制作しました。「世界を照らす自由」と名付けられ、台座を含む高さは93m、総重量225tの巨像の右手には、9mに及ぶ希望の象徴である松明が高く掲げられ、左手には1776年7月4日と記された独立宣言書を抱えています。また、その足は奴隷制と専制政治を象徴する鎖を踏みつけています。

文化遺産の離島㊱ザンジバル島(タンザニア)

スワヒリ語でウングジャ島とも呼ばれるザンジバル島の西側にあるストーンタウンは、紀元前5世紀ころに遡る起源をもち、さまざまな様式の建築物が立ち並ぶ都市です。もともと、ザンジバル島は、古くからキルワ・キシワニ島、モザンビーク島と並んでインド洋の貿易拠点として栄えていました。そのため、土着文化とインド洋交易でもたらされたアラブ文化が独自に融合し、独自のスワヒリ文化が形成されていきました。

大航海時代にヴァスコ・ダ・ガマが帰路にザンジバル島に訪問したことを契機にポルトガル人が定住し、ヨーロッパ風の漁村、教会、住居を建てました。しかし、1650年にアラブ人の国であったオマーンが島民と協力してポルトガル人を追放すると、ポルトガルの影響力は低下し、1689年にはザンジバル島はオマーンの領土となり、東西貿易の拠点として繁栄しました。9世紀に奴隷貿易が始まり、19世紀に最盛期を迎え、年間で1〜3万人もの奴隷が取引されました。

1861年にオマーンから独立しましたが、スエズ運河の開通によるイギリスの力が強まるにつれて1890年にイギリス保護領となりました。1964年のタンザニア連合共和国成立に伴い、その一部となり、現在でもサンゴ礁石灰岩で作られたモスクなど石造建築物も見ることができます。

文化遺産の離島㊲ラム島(ケニア)
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ケニアの首都ナイロビから東に約450km離れたインド洋に浮かぶラム島に広がる旧市街は、12世紀から海洋貿易の拠点として発展してきました。ラム島の中心部の約16万㎡が「ラムの旧市街」として世界遺産に登録されています。

ラムの旧市街は、東アフリカのスワヒリ圏の市街地としては最も歴史が古く、700年以上もの長きにわたって人々が住み続けています。アジアから見てアフリカ大陸の入り口に相当し、黄金や象牙、奴隷などの集散地になっていました。

東アフリカの土着文化とインド洋を渡ってきたイスラム商人たちの文化が誘導した独特の特徴を持つ建築物が多数残されています。特に、サンゴ石とマングローブの木材を組み合わせ、伝統的なスワヒリ圏の建築様式にのっとり、築かれた町並みに遺産的価値があります。こうした家屋は、中庭やベランダ、精巧な彫刻が施された木製の扉などによって構成されており、シンプルな美しさがあります。

路地は迷路のように複雑で、モスクも20箇所あり、中国の陶器の破片が埋め込まれた建物もあり、インド洋交易による文物の伝播がわかります。

文化遺産の離島㊳ゴレ島(セネガル)

セネガルの首都ダカールの南東沖約3kmの位置にあるゴレ島は、奴隷貿易の痕跡を色濃く残す地です。1444年無人島であったゴレ島にポルトガル人が上陸し、「パルマ島」と命名しました。アフリカ内陸部から集めた奴隷や蜜蝋、金の集積地となり、アフリカ大陸に近いゴレ島はヨーロッパ諸国にとって戦略的、商業的に重要な拠点だったため、激しい覇権争いが起こりました。16世紀にポルトガルからオランダに支配権が代わり、三角貿易の拠点としてイギリス、フランスなどと次々に所有国が代わり、最終的に1783年から20世紀のセネガル独立まで島を統一したのはフランスでした。

島の東岸には、奴隷貿易のシンボルとも言える「奴隷の家」が残っています。奴隷の家の2階には奴隷商人が住み、1階には船の出航を待つ奴隷たちが収容されていました。そして、北端にはフランスによって完成されたエストレ要塞が歴史博物館として残っています。

文化遺産の離島㊴サン・ルイ島(セネガル)

アフリカ大陸の最も西を流れるセネガル川の河口に浮かぶサン・ルイ島は、本土とフェデルブ橋で結ばれています。17世紀にフランスの植民地となり、アフリカ貿易の重要拠点となり、ゴムの原料や象牙、奴隷の貿易で発展しました。

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1872年にフランス領西アフリカ及びセネガルの首都として、ダカールに首都が移る1957年まで政治、経済の両面で重要な役割を果たしました。

サン・デグジュペリが「星の王さま」を書き上げた場所としても有名で、島の中心部には、木製のバルコニー、赤い瓦屋根、フランス風のコロニアル建築の街並みが残っています。

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文化遺産の離島㊵クンタ・キンテ島と関連遺跡群(ガンビア)

ガンビアの西部を流れるガンビア川の河口に位置するクンタ・キンテ島(ジェームズ島)は、ゴレ島と並ぶ奴隷貿易の重要な拠点でした。16世紀にイギリスの支配下となり、15〜20世紀にかけてヨーロッパ各国が築いた要塞や奴隷の詰所などの遺構が残っています。関連遺産として、バレン遺産やポルトガルの建造物群の遺構であるサン・ドミンゴの廃墟、礼拝堂などがあります。

この一帯は、奴隷の供給源とみなされており、「ルーツ」で知られる作家アレックスヘイリーの先祖もガンビア川の河口からアメリカに連行されたと言います。