小笠原諸島に残る戦争の跡をめぐる戦跡ツアー

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太平洋戦争中、小笠原諸島は本土防衛の最前線としてアメリカの猛攻撃に遭いました。「硫黄島からの手紙」で有名になった硫黄島も小笠原諸島の内の一つです。小笠原諸島の中で、陸上戦となったのは、硫黄島だけですが、父島、母島もアメリカの飛行機から猛攻撃を受け、今でもその弾痕が残る木も見ることができます。

目次

父島の海に眠る多くの軍艦と人間魚雷

父島近海には、多くの軍艦や人間魚雷が沈んでおり、15か所以上に散在しています。中には、アメリカ兵が載っていて日本兵によって撃ち落とされた飛行機も沈んでいます。父島の北東の海には、父島旭山の無線通信施設に攻撃する雷撃機のパイロットとしてジョージ・ブッシュ元大統領が乗っていた飛行機も沈んでいます。この場所は流れが早いので、飛行機を未だサルベージできていません。

沈んでいる軍艦や人間魚雷の中には、ダイビングで見ることができるものもあり、軍艦がバラバラになって沈んでいる「バラ沈」や軍艦が横倒しになって沈んでいる「横沈」、製氷海岸の「沈船」などのポイントがあります。

【バラ沈(辰榮丸)】

【横沈(第八雲洋丸)】

【製氷海岸の沈船(駆潜艇50号)】

絶滅危惧種であるシロワニをレックダイビング中に見ることができます。沈船とシロワニの2ショットはカッコ良すぎます!

【境浦の沈船(濱江丸)】

陸上からでも見え、シュノーケリングでも見ることができる場所では、境浦の沈船があります。

小笠原諸島・父島のダイビングショップ「FISH EYE」が沈船について調査していたので、沈船の動画や詳細を知りたい人はホームページをチェックしてみてください。

父島の山に作られたトーチカ

父島の山中には、たくさんの壕が掘られており、その先には機関銃が配置されています。壕の側面は鉄筋コンクリートで固められており、軍事用語でトーチカと呼ばれています。父島の海で泳いでいるときにふと岸壁を見ると四角い穴があいているのに気づくと思いますが、それもトーチカです。扇浦海岸の200m程沖に浮かぶ要岩にもトーチカがあります。

父島の山に作られたトーチカ①父島海軍航空隊送信所

夜明山の展望台に行く前での道の左側に残る戦跡です。航空隊送信所で通信隊とは別で、建物、貯水槽、アンテナ土台などが残ります。

父島の山に作られたトーチカ②大根山墓地

大根山には墓地があり、そこには島内各地から運ばれてきた戦車の残骸やトーチカが残されています。
大日本帝国陸軍四五式二十四糎榴弾砲の砲身、大日本帝国陸軍九七式中戦車の砲塔部、大日本帝国海軍九六式二十五粍高角機銃、戦争遺物ではないヤンマーディーゼルN16型エンジンなど。

父島の山に作られたトーチカ③夜明山に散在するトーチカ
父島の山に作られたトーチカ④発電所

旭平展望台近くに掘られた壕に残る発電所の跡です。

父島の山に作られたトーチカ⑤トンネル

二見港の前にあるトンネルも戦跡の一つです。トンネルに入ると、壁に穴が開いており、外と繋がっていることがわかります。

父島の山に残る戦車と機関銃

父島の陸上の至る所に戦跡は残されています。戦跡ツアーで訪れるのは、父島の中央部分にある夜明山の山中に眠る戦跡が多いです。

父島の山に残る戦跡①弾痕

木のど真ん中を銃弾が貫いた跡です。70年以上も前に貫いた弾丸は、徐々に木を死に至らしめ、枯らしていきます。ど真ん中を弾丸が貫いている例は少ないですが、弾丸がかすっている木はたくさんあります。

父島の山に残る戦跡②機関銃

トーチカの中に開けられた穴からは、機関銃が整備されていることが多いです。海に向かって軍艦や飛行機を撃つためのものは海軍所有で、山中に敵兵が来たときに撃つためのものは陸軍所有でした。70年以上のものがそのままの形で残っているのは驚きです。また、トーチカに至るまでの道のりは長く険しく、トーチカまで機関銃を運び入れた当時の兵隊さん達の体力についても考えました。

  • 十年式十二厘高角砲(海軍)
  • 八十八式七厘野戦高射砲(陸軍)
八十八式七厘野戦高射砲(陸軍)
大日本帝国陸軍高射砲隊洞窟陣地(北)・八八式七糎野戦高射砲
  • コペペ砲台

コペペ海岸から山中に登っていくとある砲台です。サンセットポイントとして島民に人気です。

  • 四一式山砲(陸軍)

米軍の上陸に備えて夜明山の地下壕に設置された山砲です。

父島の山に残る戦跡③トラック残骸

ハートロックと呼ばれている海から見ると赤いハートに見える景勝地・千尋岩までのルートにある軍用トラックの残骸です。トヨタ製のものと日産製のものが残されています。トロッコのレールの残骸も残っています。

父島の山に残る戦跡④飛行機

父島の山中に残っている飛行機は、全て日本軍によって撃ち落とされた米軍の戦闘機です。ヘルダイバーは境浦の山中に、マスタングは夜明山に、艦上機であるアベンジャーは吹割山に残っています。

父島に戦った兵隊たちの持ち物

父島の山に残る戦跡⑤空き瓶

ビンの底に錨マークがあり、これは海軍が発注したサントリーウィスキーの特製のビンです。

父島の山に残る戦跡⑥食器

白い陶器に星マークが陸軍、錨マークが海軍のものです。

父島の山に残る戦跡⑦生活用品

歯ブラシや靴のインナー、名前入りの三角定規などが壕の中に残されていたりします。

父島のおすすめの戦跡ガイド

父島のおすすめの戦跡ガイド①板長ガイド

父島の山を歩き回り、自らの足で夜明山の戦跡を発見して周り、そして実際に父島で戦った兵隊さん達の話を直接聞いた板長ガイドは、父島の夜明山の戦跡ツアーの元祖です。元々は、小笠原の建設会社の料理長をしていたために、板長と呼ばれています。小笠原の戦跡ツアーのガイドは、みんな板長の弟子と言っても過言ではないでしょう。

父島のおすすめの戦跡ガイド②マルベリー
https://ogasawara-mulberry.net/war/

小笠原のガイドで戦跡ツアーを始めたのはマルベリーです。小笠原村戦跡調査報告書での調査員がガイドしてくれます。境浦や扇浦などに眠る戦跡にも案内してくれます。戦跡担当ガイドは国内戦跡を数多く訪ね歩いており、北は函館砲台、南は八重山・与那までの各地の戦跡を比較して説明してくれます。

母島の戦跡

母島は、陸上戦こそ行われたなかったものの、陸上戦を想定した砲台などの戦跡が多く残っています。メイン道路を北・南に行くと有名な戦跡が巡れますが、母島市街にある「静沢の森遊歩道」をハイキングしてもたくさんの戦跡を見つけることができます。

母島の戦跡①蓬莱根海岸

母島の南から徒歩でしか行けないビーチ「蓬莱根」に横たわる戦跡です。

母島の戦跡②東港探照灯下砲台

「砲台跡地入口」という看板が出ているのでわかりやすいです。3つの砲台が残っています。3つとも四十五口径十年式十二糎高角砲(通称12センチ高角砲)です。

母島の戦跡③探照灯基地跡

96式150cm探照灯が残されており、その奥には探照灯の電源となる自動車などもあります。暗いので、懐中電灯が必要です。

母島の戦跡についてあらゆる銃眼や横穴からトーチカに侵入して調査しているサイト「歩鉄の達人」を見つけました。とても参考になります!

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